2017年07月05日

大阪の図書館では読めない「日本アナキズム運動史」

1972年11月に青木書店から発行された小松隆二著「日本アナキズム運動史」を国会図書館サーチで調べると、全国の図書館12箇所にあることがわかった。ただし、大阪府下では所蔵館はない。
 大学では、かろうじて大阪市立大学 学術情報総合センターにあるようだ。

 今から45年前の本で、その当時でも、『アナキズムがどのような思想であるのか、あるいはどのような足跡をしるしたものであるのかは、一般にも研究者にもそれほど正確に理解されているとは必ずしもいえない。アナキズムは、一般的な定義を与えにくいほど多義的な性格をもつといううけとめ方、あるいはその具体的な発現形態としての各国における運動も、じつに多様で一つの視点では包括しきれないというあいまいなうけとめ方で処理される場合が多い。』と書かれているのだから、現在では、関心を抱く人は、皆無であるかも知れない。
 あとがきでは、『ここ数年来、経済や社会における意識や状況の変化が、社会運動をとりまく状況にも新しい流れをよんでいる。それは、一面からみると資本主義の高度化と体制をこえた人間疎外の拡大に由来するものであるといえる。そのような状況のなかで、人間の存在や生の目標、あるいはその進歩や発展ということが、あらためて問いなおされている。その結果、原理的には人間重視をつらぬくアナキズムが一部で関心をよぶにいたっているわけである。』とも書かれていたのだが・・・
 あまり知られていないということで、アナキズムとは何かの簡単紹介が書かれている。
人間には、いかに苛烈な暴力も威力のある突風も、どうしても吹き消すことのできない灯がそなわっている。その灯は、個人個人によって輝きの種類も、色も、強さもちがっている。その灯が自由に無限に美しさをもとめて輝きつづけたら、さぞすばらしい光を放つことであろう。

しかし、現実の社会には、そのような心の灯がのびのびと美しく無限に輝きつづけるにはあまりに多くの制約がありすぎる。目にみえるものから、みえないものまで、社会的、政治的、あるいは経済的制限や規制や規則がいたるところにはびこり、なかなか自由に人生を享受できない。

それにしても、人間の心の奥底にともる灯は、どんな規制や圧力のもとでも、消滅しきることはないだろう。じっと嵐にたえ、まさに風前の灯の状態におかれることもあろう。そのときでも、けっして消滅しきることはない。心の灯が消えることは、人間=個の死を意味することにほかならないからである。

そのような人間の心の輝きに、敏感に反応して、それをしっかりうけとめようとするのが、アナキストの心情の出発点といってよい。アナキズムが不平等や差別や権力的なものに反発する日常のごくありふれた感情を源流にもっていること、そのため明確な定義や理論体系をもっていないといわれることも、それに無関係ではないだろう。

昔から、人間を見失わずに、人間中心に考え行動しようとつとめたものは少なくない。マルクスも若いころ「人間が人間にとって最高の存在である」といったことはよく知られている。アナキストも、その点では他に劣るものではない。というより、アナキズムの視点にあっては、人間は他のなにものにもましてかけがえのないものである。

すなわち、アナキズムにあっては、人間をすべての発想・行動の根幹にすえることから出発する。たとえば、〈進歩〉や〈成長〉のようなものを位置づけるにも、アナキズムにあっては、これまで当然視された経済的なものを第一義に考えるという方法はとらない。それに、いうまでもないが、その人間について個性的で、多様で、かつ平等なものとうけとめる。それだけに、それぞれが他によって代替されうるものではない。また一方が他方によって無視されたり、支配されたり、犠牲に供されるようなこともあってはならないと考える。

そこから、アナキズムの第一の特徴は、人間性の思想として貫徹されることをめざしているという点にあるといっても過言ではない。

 はじめにと序文、あとがきを抜き書きし、目次と参考文献を紹介してある。本文を目にするのは、中々困難・・・というか、そこまで努力しようとする人はいないかな????
posted by むしぼし at 16:05| 本のこと

2016年12月18日

「国家総動員」=あまりポピュラーな本ではないようですが・・・

 「国家総動員」と題されたこの本は、1937(昭和12)年11月に発行されています。内容は、第72回帝国議会で提唱された、「国民精神総動員運動」の解説です。

 同年77日、廬溝橋で日中両軍が交戦し、日中戦争に突入しています。(当時は、日本国として中華民国に宣戦布告をしていないことから、「国家間戦争」ではなく「局地的事変」、「北支事変から支那事変へ拡大」と表現していたようです。日華事変という言い方もあるようです。)

 戦争は長引くことが予想され、国民を戦争遂行のために総動員する運動が始められました。その運動の解説書ということです。翌年には、国家総動員法が公布されています。国家総動員法については、「労務統制法規総攬−国家総動員法に依る戦時労務統制関係法規」を、先に紹介してあります。

http://honnomori.jpn.org/syomei/9-ra/roumu-tousei-1.html

 

 「国民精神総動員運動」が国家事業であることは、第72回帝国議会の閉会翌日の内閣告諭を見ると明らかです。

 

『凡そ難局を打開し、国運の隆昌を図るの道は、我が尊厳なる国体に基き、尽忠報国の情神を益々振起して、之を国民日常の業務生活の間に実践するに在り。今般、国民精神の総動員を実施する所以も、亦此に存す。』(内閣告諭−昭和12年9月9日  内閣総理大臣 公爵 近衛文麿)

 

 提唱された運動の名称は、「国民精神総動員」、なのに、ここで紹介している本の題名は「国家総動員」で、国家総動員法と紛らわしい。

 

 ちなみに、国立国会図書館サーチで、「国家総動員 小野清秀」で検索すると、国立国会図書館 (2)、兵庫県立図書館 (1) 、大阪府立中央図書館 (1) 、岩手県立図書館 (1)の結果となりました。

 

 「国民精神総動員」では、本 (1570) 、児童書 (5) 、デジタル資料 (952) 、立法情報 (1)の結果となっています。書名でなく、著者・発行所が「国民精神総動員中央連盟」とか「朝鮮国民精神総動員連盟」のものが多く含まれています。

 

 「国家総動員法」の検索では、本 (1113)、児童書 (2) 、デジタル資料 (848)

立法情報 (13)

 

 検索結果によれば、国風会刊の「国家総動員」という本は、どこの図書館にでもあると言うものではないようです。

「国風会」で検索すると、本 (208) 、記事・論文 (2) 、新聞 (1) 、レファレンス情報 (1)、デジタル資料 (181)、全国の27の図書館に「該当あり」の結果でした。 

ここで紹介したのは、手持ちの「第3版」ですが、発行部数が元々少なかったのかも知れません。

 

内容は、繰り返しが多いのですが、ようするに、『日本は神祖の修理(つく)り固めたもうた国土に、その神の嫡統が君臨したまい、他の庶系が臣民となって、国家といふものが自然に出来たのである。義は君子、情は父子、君民同組、一国即一家、国は神国、君は神統、臣民は本来の部族であり、宗支の関係であり、皇統と臣民と国土とが一体不離不可分である。脅迫だの、仇敵だのといふ因由は毫末もなく、君主、戸主、親の直裁統治で、共和とか、民主とか、假在の君主とかいふ意味は少しもないのである。』

『敬神崇祖の観念を、君主・国家に手向ければ、直ちに、尊皇愛国となり、またこれが、建国の事情と相伴う勇武の民族特性と化合すれば、忠勇一致の結晶たる日本魂の中枢となる。』

『この日本精神、王道に超越せる、大皇道を、世界人類全般に拡大し、強化して、普及せしむるのが、現下ならびに将来永遠の不断連続的座標でなくてはならぬ。』

『万一、この大道に抵抗せんとする者ある時は、祖先伝来の正義の剣をもって、反省、自覚せしむべきものである。』

『神武天皇の大詔たる「六合を兼ねて、もって、都を開き、八紘(はっこう=八方の意、世界全体)をおおいて、宇となす」の一大理想を奉戴・実現し、我等民族が、世界に誇り得る皇道の旗の基に、世界全人類を、指導・同化せねばならぬ。これまた、わが民族、天賦の一大使命である。』

『もしまた、世界を挙げて、理不尽なる干渉をなし来らば、我等は、国家総動員の下に国を挙げて国難に殉ずるの一大決意をもって、最後の一人となるまで、相扶け、相節し箏、焦土となるも屈することなく、正義・聖戦のために戦ひ、有終の美をなさねばならぬ。

これ、さきに政府が、国家総動員の必要を説き、今次また、国民総動員一大運動を起こせしゆえんにして、我が國風會が、ここに又本書を刊行する所以である。』というものです。

 

ここに紹介した「日本神国」「万世一系の天皇が統治する国」「世界にこの考えを広めることが日本民族の責務」の考えは、国民精神総動員運動で事新しく唱えられたものではありません。

 

1935(昭和10)年には、美濃部達吉のいわゆる「天皇機関説」が論難され、国体明徴運動が起こります。

衆議院では、満場一致で、国体明徴決議案が満場一致で採択されました。その時の趣旨説明では、『我が国体の本義は、−皇祖肇国の始に於て、紳勅を下し給ひ「是れ吾が子孫の王たるべきの地なり」と宣はせ、且つ「天壌と與に窮りなかるべし」と示させられてある。此神勅は我が建国の大精紳であり、永遠の大理想であります。

即ち、此に依て、我国の優越なる特殊性を明示し、万世一系の天皇が統治権の主体にして、絶封の地位にあらせらるることを宣布せられたのであります。

天皇ありて国家あり。国家ありて天皇あるのではありさませぬ。而も是れ一体不可分の関係に於かせられてあります。故に君民一如、君国一体の金甌無欠の国体は、三千年の伝統となり、恆久不変に確保せらるるのであります。実に我国の立憲政治は、此基礎の上に置かれてあることは、敢て言を用ゆる迄もなきところであります(拍手)

然るに測らずも、今議会に於て、此明々白々たる国体に関する論議が行はれつつあることは、私の最も懌ばざるところである。

−政府は、天皇機関説に対し、之を否定しながら、躊躇逡巡、之に対する措置を爲さざるは、国家の爲め誠に遺憾に堪へぬ次第』

 

当時の政府の、「国体明徴に関する声明」でも、『我が國體は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、萬世一系の天皇國を統治し給ひ、寶祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法發布の御上諭に『國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ』と宣ひ、憲法第一條には『大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と明示し給ふ。即ち大日本帝國統治の大權は儼として天皇に存すること明かなり。若し夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲の機關なりと爲すが如きは、是れ全く萬邦無比なる我が國體の本義を愆るものなり。近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。政府は愈々國體の明徴に力を效し、其の精華を發揚せんことを期す。』としています。

 

本の紹介の末尾に、明治維新から昭和13年までの略年表を付けました。沖縄、樺太、台湾、朝鮮、南洋諸島、満州へと海外膨張を続ける侵略の歴史と天皇の神格化と権威強化による軍事国家への流れを見ることができます。

 

今、本屋さんに、「文藝春秋 SPECIAL2017 冬」が並んでいます。「激論!退位は是か非か 今こそ考える、皇室と日本人の運命」と表紙に印刷されていることで分かるように、天皇退位に関しての賛否両論をまとめたもの。

そこには、「天皇も人間として人権を認めるべきであり、退位したいという意思を尊重すべき」という意見や、「天皇は、能力があるかないか、職務に耐えられるかどうかという評価で存在が云々されるものではなく、神話に基づき、男系万世一系、他に代わるものがいないという存在自体の尊さがある。皇室の存続させることが国民としての責任で合る」という意見。「陛下の意図は、戦前の『国体明徴』ならぬ『国体明澄』。『神秘』を除(よ)けて天皇が持つか。日本社会を支える見えない価値や力は何か。『国民国家』日本の統一すら危うくなる」などなどの意見が(まだ途中までしか目を通していませんが)掲載されています。

 

「国民国家」を成り立たせる「象徴」としての神話と具体的存在としての天皇は、江戸時代の水戸学を代表として論じられ、明治以降強化され、軍事国家日本、戦争への道へと突き進んだ。そう私は、理解しています。

ある意味で、柳田国男の民俗学も、差異を見ながら基底では均質な日本民族像を描き出そうとすることによって、「国民国家」日本の形成に役立ったし、天皇美化に貢献した。その手法は、「国家総動員」の中で多数紹介されている「美談」の取り扱いに活かされているように思えます。

 

アキヒト天皇(一般的には今上天皇と表記されるようですが)が、人間として誠実に生きようとして、自分に課せられた、「象徴天皇」の職務を熟慮し、遂行しようとしてこられた。しかし、「人」でなく、無色無臭の存在として、生きることが押しつけられるとすれば、人間アキヒトへの重大なる人権侵害だと思えます。

かといって、アキヒト天皇の人間としての誠実さを評価し、「国民統合の象徴」として権威が強化されすぎると、またもや神格化に結びつく危険もあります。その危惧において、アキヒト天皇の誠実さは、危険なように思えます。

生身の人に、過大な思いを寄せるのは、よくない。人それぞれに、神性、仏性あり、アキヒトさんも衆生の一人。

世論調査では、退位賛成が多数と伝えられています。多くの人は、アキヒトさんの人として誠実に生き、死にたいという一念に、答えているのだと思われます。

 

さて、これをお読みの方は、どうお思いでしょうか・・・・・

 

「国家総動員」のページは以下

http://honnomori.jpn.org/syomei/2-ka/koka-sou-1.html

posted by むしぼし at 10:35| 本のこと

「アジアの身分制と差別」=国際身分制研究会、3期8年間調査研究事業の集大成

国際身分制研究会というのは、1995年から2003年まで、「現在、日本社会においてなおさまざまな形態で存在している部落差別問題を解決するためには、近現代社会における身分制及び身分の問題を、その発生の起源から、また、国際的な比較社会史的な視野から研究していくことが、ますます重要になってきている。」という認識の下、立ち上げられたもので、沖浦和光さんがまとめ役をつとめられていた。
 個人的な関わりから言えば、研究者でもないのに、第3期について聴講させていただいた縁がある。

 国内重点の視点でない報告や議論は刺激的なものであったし、印度からダリットの解放運度に関わっている人の来日を受けて開催された報告会や討論は、本による知識で得るものとは別様のものが得られた。
 で、今回は、沖浦和光さんの総論「身分制成立史の比較研究 日本の賎民差別とアジアの身分制」と友永健三さんの『国連と「身分差別」問題をめぐる動向』の2つを、基本文献として最適と推奨する意味で、長く紹介させていただいている。
http://honnomori.jpn.org/syomei/1-a/ajia-mibun-1.html へのリンク
posted by むしぼし at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 本のこと

2016年08月30日

76年前の「労務法規集」は、タダのごみか?

1942(昭和17)年、今から76年前の「労務統制法規総攬」という本がある。
「国家総動員法による戦時労務統制関係法規」を集めた本。

国家総動法/国家総動員法を朝鮮台湾及び樺太に施行するの件/国民徴用令/陸軍徴用規則/国民勤労報国協力令学校卒業者使用制限令国民職業能力申告令/工場事業場使用収容令/職業紹介法/労務者募集規則/国民労務手帳法
 本当に盛りだくさんだが、国会図書館サーチで検索すると、京都府立・大阪府立中央・愛媛県立・国会図書館の4箇所しか上がってこなかった。だから、あんまり、一般的な資料とは見なされていないようだ。
 国会図書館では、デジタルコレクション・jpgデータが公開されている。本の社の紹介では、多めの抜き書きを付けておいた。
 生協インターネットの沖縄戦と有事法制の頁では、国家総動員法(昭和13年法律第55)(全文口語訳)国民職業能力申告令(昭和14年勅令第5号)(口語訳)国民徴用令(昭和14年勅令第451)(口語訳)工場事業場管理令(昭和12年勅令第528)(口語訳)が公開されている。

http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/okinawasentoyuujihousei/okinawasentoyuujihousei.htm

一般財団法人日本職業協会のホームページに、職業安定行政史というのがあり、第4章が戦時労務統制に触れている。関連法規の一覧と簡単な説明が付けられている。

http://shokugyo-kyokai.or.jp/shiryou/gyouseishi/04-3.html

なお、現在の「国土交通省総合政策局不動産業課長」が業界関係者に通知を出すときに、「国総動第47号 」などと記しているが、「国家総動員」の略ではないことは、いうまでもない。
http://honnomori.jpn.org/syomei/9-ra/roumu-tousei-1.html
posted by むしぼし at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 本のこと